インタビュー企画「この人に聴く・このヒトを識る」:伊東 裕司 氏



 伊東 裕司(慶應義塾大学文学部教授)
 1982年慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(心理学)。1982年、慶應義塾大学文学部助手。2000年より現職。専門は認知心理学、司法心理学。後者では特に、目撃者の記憶、裁判員の判断を研究している。法と心理学会副理事長。

 島根 大輔(慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程)
 2017年慶應義塾大学院社会学研究科修士課程修了。専門は認知心理学、特に記憶。人間の顔の処理メカニズムも研究対象としている。

 外塚 果林(洗足こども短期大学非常勤講師)
 2018年日本大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。専門は刑事訴訟における事実認定。裁判員裁判にも興味がある。


 2019年12月21日、慶應義塾大学文学部の伊東裕司先生にお話をお聞きしました。お話の内容は、おおきく、【1】法心理学全般、【2】若手と法心理学、【3】中高生に対する法心理学教育です。

 【1】法心理学全般

―― さっそくですが、心理学の中で、特に「法心理学」にご興味を持たれたきっかけのようなことはあったのでしょうか。

伊東 僕はもともと認知心理学が専門で記憶の研究をしていました。1989年から1990年にかけて、外国へ留学していたのですが、留学から帰ってきたら、弁護士の一瀬先生から手紙が届いていたのです。「心理学者の方の記憶に関する意見が欲しい、できれば実験をやってほしい」という内容の手紙でした。一瀬先生は自民党本部放火事件の弁護団のメンバーだったのです。当時、記憶に関する新しい研究として、日常記憶研究というものがありました。実験室のなかだけではなく、日常生活のなかで、人間がどのように記憶を用いているのかを検討する研究です。僕もそういうことに興味を持っていたので、すごく面白いチャンスだなと思い、参加しました。
 僕のほか、厳島先生、仲先生が初期のメインメンバーでした。僕たちが焦点を当てた自民党本部放火事件の目撃者は、犯行現場を目撃した人というわけではなく、犯人が「時限発火装置」の部品を買ったところを目撃したとされるお店の店員さんでした。そこで、そのような状況を模したフィールド実験を行うことになりました。具体的には、実験協力者にいろいろなお店に買い物に行ってもらい、お店の中で少し目立つような演技をしてもらいました。実験協力者にどのような店員さんが買い物に応対してくれたかという記録をとったうえ、そのあと、事件に合わせて、買い物から3か月くらいたったところで、心理学者のグループが買い物に応対してくれた店員さんを見つけ出して、インタビューをするというものでした。店員さんに写真帳を見てもらって、そのときに買い物に来た人はだれかについて答えてもらったのです。そのインタビューをもとに、浜田先生や原先生も加わって鑑定書を作成し、裁判所に提出して、法廷でも証言をするということを行いました。
 そのような研究をやっていたら、弁護士さんや法学者の方との付き合いが多くなりました。たとえば、一瀬先生が東京弁護士会で目撃証言研究会を立ち上げられたので、その研究会に参加したりしました。認知心理学から法心理学を始めたという方は何人かいらっしゃいましたが、自民党本部放火事件のような大きな事件を取り扱ったのは僕たちのグループが日本で初めてでしたので、認知心理学者などの心理学研究者にも参加してほしいということになり、旗振り役として日本心理学会などでワークショップを行ったりしました。そうこうするうちに、村井先生などを中心に法と心理学会を作ろうという話になりました。ますます弁護士の先生方、法学者の方と付き合うことが多くなって、そうすると、研究のネタのようなものをもらえたりして、法心理学を専門とするようになったというわけです。

―― もともと先生は大学に入学されるときに「法心理学」を意識されて学部を選ばれたのでしょうか。

伊東 もともと法律には興味がなくて、どちらかというと、学部時代から避けていました(笑)。僕は慶應の附属高校出身でしたので、受験勉強をガリガリやらなくてよいという環境でした。ですので、いろいろ考える時間はありました。もともと実験や化学などに興味があったのですが、あまり数学はできなくて、理工学部は辛いというのは多少ありました。他方で、人間に興味があり、人間について研究できるのはどこかと考えたところ、わりと心理学は実験など理系的なところがあると知り、心理学をやりたいと思い、大学に進学しました。慶應は2年生から専攻が分かれるのですが、入学したときから心理を専攻すると決めていました。

―― 心理学という土台があって、ご研究を続けられる中でいろいろな方とお会いして、法心理学をご研究されるようになられたということなんですね。

伊東 そういう意味では、色々な方と会えたことが大きいと思います。2000年くらいに法と心理学会ができて、2004年に裁判員法がとおりました。法と心理学会のミーティングでも、裁判員裁判もいろいろ問題があるということが話題となりました。そこで、法律の先生方からお話をうかがったりして、それがきっかけとなって、裁判員の心理、判断過程についても研究してみようということになりました。裁判員裁判以外では、被告人が裁判所の中に入ってくるとき手錠、腰縄を付けたままです。裁判官や傍聴人はその姿を目にすることになります。それを裁判員が見たときには判断にどのような影響があるかについて法律の先生と議論したことがあります。実際には2009年に裁判員裁判が始まる頃に、裁判員が腰縄を付けられた被告人の姿を見ないようにする配慮がなされたので、この問題について心理学的に研究することはありませんでしたが、このように、法律の先生方とお話することで、裁判員にはいろいろな心理的な影響があるということに気が付かせてもらえました。

―― 司法判断に人の心理の影響がありそうだということは、法学者の先生方も考えておられたのでしょうか。

伊東 裁判員についてはいろいろな関心を持たれていたのではないでしょうか。心理的な影響があるというのは、どなたも思っておられたと思います。心理学者に何かできるかもと思っていた方は一部かもしれませんが(笑)。目撃証言に関しては、アメリカでロフタスが一生懸命研究を行っていましたし、陪審制度をとっている国では、心理学的な陪審研究も行っていました。ですので、法学者の方で心理学を意識されていた方はいらっしゃるとは思いますが、他方で、心理学者より法律家である自分の方が人間についてよくわかっているとおっしゃる方もいました。心理学が影響するという一面はあるかと思うが、全部は受け付けないという方もいました。

―― 私(外塚)は,法律学は伝統を重んじるところがあると思います。そのため法律学の中に閉じこもってしまい、法律学以外の学問を受け付けないということがあるように感じます。そういう法律学を学んだ人が裁判官になると、どうしても心理鑑定よりも法律家である自分の判断の方が正しいと思われてしまうのかもしれません。ですが、法律学がもとオープンになって、他の学問から学ぶ姿勢を増やさなければならないと思います。そうすることで、裁判がよりよくなると思うのです。心理学の先生から見て、法律を勉強している人に足りない視点や、こういう心理学的な視点を入れて法律を学んでほしいということがありましたら教えてほしいです。

伊東 むずかしいですね。裁判では人を裁くことになりますが、その前提には個々人が責任を持てる存在、自分の行為について自分で責任をとれる存在という考えがあると思います。ですので、その前提が成り立たないような場合、たとえば、精神疾患などで責任がとれないような場合は、今の法律ですと罪を犯しても罰せられないということになります。でも、それはあくまで例外であって、それ以外の人は自分で自分のことを決めていて、自分で責任をもって行為をしているという前提があると思います。
 ですが、心理学の研究からわかってきたことは、人間はそういう存在ではないということです。環境とか他人などによってコントロールされているのです。しかも、本人でさえ気付かない形でコントロールされているということがたくさんあると思います。そういうことを心理学は明らかにしてきたのではないでしょうか。そのような特性を持つ人間について、どうしたらよいのかということを心理学はいろいろ考えてきました。そういう前提のもとで、よりよく生きるためにはどうしたらよいのかということを考えてきました。他方で、法律は規範の学問です。どちらが正しいというわけではないのですが、心理学と法律学では、人間観に関する違いがあると思います。そこのところを分かり合えることが大事なんじゃないでしょうか。法律という形で世の中にルールを作って、それをうまく回していくためには、こういう法律学的な見方がどうしても必要なんだということは分かります。ですが、心理学者からすると、この見方はなかなか分からない。逆もそうで、法律学からすれば、心理学の見方では、世の中の秩序はどうなるんだとなってしまう。心理学と法律学がそれぞれ分かり合った上で、それではどうすればいいのかについて一緒に考えるのが理想だと思います。

―― 最近、「法心理学」を教える法学部もあると聞きます。法学部生が心理学を学ぶ際に、心理学のどのような視点が必要だと思われますか。

伊東 法学部で法心理学を学ぶことは、すごく大事なことだと思います。先ほども少しお話しましたが、心理学者の人間に対する興味の持ち方というのは、もしかすると法学者の方とは違っているのかなと思ったりします。心理学的な視点で実験などを行うと、人間の認知ってこんな不合理な点があるよねという発見があります。それを心理学者は面白いと思っているのです。法学部生にも、そういう人間のいろいろな側面とか、こういう状況だと人間ってこうなるよねというように、面白がって気付いてもらえるような、そういう方向にもっていってもらえるとよいと思いますし、いろいろな考え方もできるんじゃないかなと思います。
 たとえば、トロッコ問題というものがあります。コントロールを失ったトロッコが走っていて、分岐の先には5人の人がいて、このままでは5人全員がひき殺されてしまう。分岐でトロッコの進路を切り替えれば、5人を救うことができるが、その先にも1人の人がいて、この人はひき殺されてしまう。5人を犠牲にして1人を救うか、それとも、1人を犠牲にして5人を救うかという判断が求められますが、人間の判断がどこで別れるのか、何が一方の判断を正当であると思わせるのかなどは、よくわかっていません。このような人間の判断の矛盾は法律でも問題になるんじゃないでしょうか。

―― 法学部だと、たとえば刑法の授業で「違法」とは何かを議論します。人を殺害したという結果を違法と考えるか、そのような結果以外の要素を含めて考えるかという議論です。ですが、本当の意味でそのような問題を踏み込んで考えているかというと疑問があるように感じます。どうしても学説と学説の対立といったように、私(外塚)を含め、法学部生は文言に囚われているような気がします。

伊東 そのような判断をする際、心理学者は、人はどんなことによって動かされているのかというように、その時のその人の心理を考えます。ですので、心理学者は法学者とは違った目で見ていると思います。心理学のような見方もあるよねということが分かってもらえればいいのかなと思います。

 【2】若手と法心理学

―― 法律学と心理学が結び付くことによって、法律学も学問としての深みが増すように感じるのですが、先ほど述べたように、法律学は法律学の枠内に固まってしまっているように思います。これから私たち若手が法と心理学会で勉強していくにあたって、こういう視点で法心理学に取り組んでほしいといった期待がありましたら教えていただきたいです。

伊東 まずは互いに話をしなければならないと思います。先ほども言ったように、心理学と法律学では学問の違いもありますし、人間に対する見方の違いもあると思います。ですので、心理学者と法学者で学問的な見方の違いについて色々な話をしてみるとよいと思います。そればかりではなく、具体的な問題の中でも話ができるようになればよいと思います。それでお互い理解していくことが大事でしょう。
 一つ例をあげると、前述した自民党本部放火事件で一瀬先生と一緒に仕事をしたときのことです。先ほどお話しした目撃者に関する実験で、80数名ほどの店員さんにインタビューに回答してもらいました。80数名ほどの店員さんのうち、写真帳のなかから目撃した実験協力者(買い物客)の顔を選んで正解したのは1割弱でした。私たち心理学者は1割しか当たらないのだから、目撃者の記憶はあてにならないという結論になりました。しかし、一瀬先生は1割も当たったじゃないか、それじゃ困るといわれたのです(笑)。1割も当たったんじゃ、裁判官を説得できないというのです。たしかに、実際に法廷でも検察官の方はこの目撃者は特別に記憶力が良かったということを主張されていましたので、裁判官も1割も当たっていると判断してしまうそうです。そのことを一瀬さんは分かっていて「1割も当たってる」ということを言われたんだと思います。ですが、そのような裁判官の方の考え方もそのときは全然わかりませんでした(笑)。このように、心理学者と法学者の考え方について、お互い具体的な事例に関連して話していると、ぶつかるところが出てくると思います。そこを掘り下げて、背後にある見方の違いは何なのかということまで話せる研究仲間がいることは素晴らしいことだと思います。学問的な場面に限らず、ご飯を食べながら、お酒を飲みながら腹を割って話すといった形で交流ができればよいと思います。若い方にはいろいろなネットワークを作ってもらいたいと思います。

―― 私(外塚)は事実認定を研究しているのですが、判例だけから読み解いていくのに限界を感じることがあります。法律学に心理学的な実験などを加えた実証的な研究ができればお互いにとってすごくいいんじゃないかと思っています。心理学の知識がないから心理学の方にいろいろ教えてほしいと常日頃思っています。

伊東 お互い様だと思います。実際に裁判だとか、そういう法の解釈について我々はよくわからないから、僕自身、法律の方、実務の方から教えてもらって研究をしてきたということもありますね。

―― 若手として、これから自立して研究を進めていかないと一人前にはなれたといえないのかなと思ったりします。先生が研究テーマを決めるときの判断基準やポイントなどはありますでしょうか。

伊東 まず、「これ面白そう」という興味があるんじゃないかなと思います。また、心理学を応用的に役立てたいという思いがあります。あとは、自分で研究していくということになると、研究費をもらってこなければならないので、人にも面白いと思ってもらわなければならないと思います。人にこれは面白いということを伝えるにはどうしたらいいかということを考えたりします。ですが、面白いと思うことを自分一人で思いつくというのはなかなかできないので、それこそ指導している学生から出てきた研究課題もいくつかあります。

―― 「面白い」というのは、具体的にどのような基準なのでしょうか。

伊東 色々あると思いますが、一つは「意外性」ですね。自分ではこう思っていたが、実際に調査をすると違ったということがあります。たとえば、僕は「言語隠蔽効果」の研究をずっと行ってきました。犯人を目撃した人に対し、顔写真のラインナップから犯人を選んでもらうのですが、その前に(a)「犯人の顔を思い出して、その顔について言葉で説明してください」といって写真を選んでもらう場合(つまり、言語記述する場合)と、(b)そのような犯人の顔について言葉で説明してもらわずいきなり写真を選んでもらう場合(つまり、言語記述しない場合)で、どちらの正解率が高いかという問題があります。一般的には、写真を選ぶ前に犯人の顔を思い出して言葉にしている(a)の方の正解率が高いと予想されるのですが、1990年頃のアメリカの研究では、(a)の方の成績が下がるという結果が報告されました。言葉には人間の記憶や認知の能力を拡大する側面があるといわれているので、そのことからすると、(a)の正解率が低いというのはとても「意外」だったりします。
 前述の自民党本部放火事件の実験の際も、実験協力者(買い物客)の特徴について言語記述させることで、被験者(店員)の記憶が促進されるのか妨害されるのか、どちらなんだろうと疑問に思いました。いろいろ文献を探しましたが、見つからなくて、1991から1992年ころに卒論を書く学生と一緒に実験などを行いました。その実験の結果は言葉で言語化すると記憶が促進されるという結果になりましたが、そのあと文献をいろいろ調べていると、妨害されるという論文が出てきたり、影響なしという論文も出てきたりしました。そうなると「面白い!」ということになります。そういう意味で、やってみないとわからない、どちらなんだろうとか、期待を裏切られたという意外性、さらには、そういう意外な方向になるのはなぜなんだろうと考えたりします。そういうことが「面白い」ということだと思います。

―― では、今、先生が「面白い」と思っている研究テーマはありますか。

伊東 人違いの研究ですね。これも学生の卒論から出てきた研究テーマの一つです。道を歩いていて友達だと思って手を振ったら全然別の人だったという類の人違いの研究です。そういう現実の状況をシミュレートするような実験ができないかなと考えています。現実の裁判では、目撃者が「知っている人を目撃した」と供述している場合、知っている人ならばきっとその人なんだろうと裁判官も裁判員も思ってしまうかもしれません。ですが、人違いしていることはあるんじゃないかと思っています。僕らがやった調査研究で「人違いをした経験は1年間にどれくらいあるか」ということを質問すると、多くの人が2〜3件はあると回答します。とはいえ、それは人違いだと「気付いた」場合の人違いです。つまり、向こうから誰かが来て、〇〇さんだと思っていたが、もう少し近づいたら全く違う人だったということに「気付いた」といった場合です。そうなると、その裏に、「気付かないまま」終わってしまった人違いがあるのではないかと思っていて、それがどれくらいあるのかというのは、すごく興味があります。また、気付く人違いと、気付かない人違いはどこが違うのか、どんなきっかけで気付くのかということがわかってくると、応用として、目撃供述の信頼性に関して言えることがあるかもしれないと考えています。

―― これらのような心理学的な研究に際して、法律学の先生方と共同で研究されたことはありますか。

伊東 研究を進めるなかでいろいろ議論するということはあります。謝辞だけというレベルのものや、共著というレベルのものもあります。ただ、共著として論文にするのはなかなか難しいので、心理学と法律学が本当の意味で連動した研究がたくさんあるわけではないですね。何の雑誌に掲載するのかという問題もありますしね。実験や調査を行うと、法学者の先生から意見をもらったとしても掲載するのは心理学の雑誌ということになってしまいます。法と心理学会の場合、学会誌「法と心理」があるので、もっと法律の学問的なことや、法実務に向けての議論ができればよいと思っています。ですが、同様に、心理学の実験や観察といった実証的なことが書かれていて、その土台の上で法律の論文としてもしっかりとした議論がなされている論文はほとんどないと思います。今後、法と心理学会でそういう研究が出てくることがとても期待されていると思います。心理学と法律学が連動した論文が出てくるのがよいと思います。

―― 以前先生がご参加されていた「新学術領域研究 法と人間科学」では、心理学者と法律学者が共同研究されていたと思います。そのときのことについて教えてください。

伊東 「新学術領域研究 法と人間科学」も、法と心理学会のメンバーがメインメンバーでした。法と人間科学という領域があることをいろいろな方に認知してもらわなければならないと思い、活動をしてきました。泊まり込みなどかなりの密度で集まる機会がありました。心理学者と法学者が年に数回集まることを5年間やりました。どのようにやっていくかという難しい面もありましたが、そこで初めてお会いした方もいるし、何といっても、この人はこういうことやっているんだというように、お互いの顔が見える関係にあったのがよいと思いました。こういう方がいてこういうことをされているんだと、そういう相互理解が大きかったと思います。そういうことをぜひ若い人たちでやってもらいたいと考えています。

 【3】中高生に対する法心理学教育

―― 最近、先生は中高生に対する法心理学教育にご興味があるとお伺いしました。

伊東 日本心理学会の企画で、高校生向けの講演会やシンポジウムを毎年全国10か所くらいで開催するというものがあります。いままで心理学を中学、高校でまとまった形で教えることはありませんでした。ですので、高校生が心理学についてまったく知らないまま大学に入学してしまうことがあります。そういう高校生に心理学とはこういう学問なんだよと分かってもらう必要があると思っています。この企画を行う学会の委員会に、この秋まで関わってきたなど、もともと高校生に対する心理学教育には関心を持っていました。そして、2022年に新しい指導要領が施行されるのですが、倫理の授業である程度まとまった形で高校生に心理学を教えることが決まっています。この新しい指導要領に向けて、どのようなことを教えるのがよいかということが議論されるようになってきています。
 たまたま12月上旬の高校生への心理学導入のシンポジウムに参加する機会がありました。そこで少し気になったことがあります。高校の倫理の授業のなかで心理学を教える際の目標として「自立して主体的な人間を作る」ということがあると聞いています。その背後には、自分で物事を決められる自立した主体的な存在であるべきであり、またありうる、とする人間観があるように思います。たしかに、僕自身も、心理学の授業を学部生にするときは、自立した思考者になってほしい、そのためには、という主旨で話をします。その中で心理学的な人間の考え方のクセみたいなものの話をします。つまり人間というのは、こんなにあやふやで、こんな風に他からコントロールされる、ということをお話しして分かってもらいたい。そして、そういったことが分かった上で、その中で主体的に生きていくにはどうしたらいいかを考えてもらえればよいと思っています。ですが、短い高校の授業の中で心理学を教えるとなると、「こう考えれば自立した人間になれるよ」というところが正面に出てきてしまうのではないかと思ったりします。人間は本来、弱くあやふやで状況にコントロールされてしまう存在なんだというところが忘れられたまま、「こうすれば自立できる、こうすれば責任のある人間になれる」というというところだけが独り歩きしてしまうのではないかと不安に思います。そのことで、心理学が他人に対して優しくない人間や社会を作ってしまう方向に加担してしまったら、すごく嫌だと思ってしまいます。たとえば、死刑をどう考えるかとか、あるいは、治療的な司法の在り方などが議論されたりしますが、それをどう考えるかということにもつながってくると思います。下手すると、他人に対して優しくない考え方しかできない人間観を植え付けることになってしまうのではないかと危惧しています。それはぜひ避ける形で心理学教育を導入出来たらと思っています。

―― 僕(島根)は、映画「それでもボクはやってない」を観て、冤罪は許せないと思うようになり、心理学を専攻しました。ですが他方で、同じ映画を観て、主人公が犯人だと考えた人もいたかもしれません。このように、どちらかの見方に偏るのは世の常であるようにも思えます。そのような中で、若い10代のうちから法律学や心理学に触れることのメリットはどのような点であるとお考えですか。

伊東 高校生が学ぶことによって、法心理学に親しみが持てるようになってほしいと思っています。とはいえたとえば、授業などで模擬裁判を経験してもらうときには、いろいろな面からの見方があるということを教えてもらわないと、画一的な見方になってしまい、優しさに欠けた人間観に繋がってしまう恐れもあるのではないかと思ってもいます。たとえば、人を呼び出して殴って怪我を負わせたという事件があったとします。どこまで計画性があったのかが問題になったりします。しかし、人間はそれほど計画的なわけではないと思うし、一見計画性があるように見えても、妄想していただけで具体的に計画していたのではないというのであれば、外からの強力な力が働いて殴るという行動につながったということも考えられます。ですが、そういう妄想か否かというのも、外部からは分からないと思います。揺れが出てくる部分、人間ってどういう存在なのか、頭では分かっていても、実感としてどう思うのか、判断の際にしっかり想像力が働くか、というところだと思います。人間の弱さとか、他律性というものを実感できるような環境が中高生にあればと思います。とはいえ、それで自分に甘くなってはいけないとは思うので、その辺がむずかしいと思います。自分に厳しく他人に優しい人間になるための一つの方法として、法心理学があればいいと思います。
 これからの法心理学にとって、世論の支持、後押しといったものが大事だと思っています。たとえば、目撃記憶の誤りなどは、最近テレビでも取り上げられ、一般の人もある程度受け入れるような状況ができてきていると思います。世の中の知識として心理学が広がっていく中で、法律の世界に心理学的な問題があるということを広く知ってほしいと思っています。現在の法と心理学会ではあまり行っていませんが、一般向けのアピールということはすごく大切だと思います。学会として、一般向けの活動をしなければならない、そういう動きがあってはじめて、心理学者がやっていることが政治家や裁判官に届くのではないかと考えています。だからぜひ、若手の人には一般向けのシンポジウムの企画などを行ってほしいと思います。

 【インタビュー総括】

―― 先生にとって心理学とは?

伊東 10代後半くらいから心理学をやってきました。なかに入るといろいろと大変なことはあります。でも、私は今年度で今の職場を定年退職しますが、まだ心理学の世界にはいたいと思っています。辛いことも経験させてもらいましたが、全体的には知的興奮だとか好奇心というものを掻き立てられ、満たしてくれた部分が大きいです。心理学を通じて人と知り合い、大学生の時は法律に関係するなんて思ってもいなかったけれど、そういうところに連れていってくれました。私にとって心理学とはそういうものだと思っています。



インタビュー後記:
  • 自分自身のこと、法と心理学のことについて、改めて考えるよい機会になりました。法と心理学会は、昨年設立20年を迎えたのですが、これからさらにいろいろな方の知恵を集めて、学会としても新しい方向に動き出さなければならない、ということを感じさせてくれたように思います。お二人のインタビュアーをはじめ、関係するすべての方に感謝いたします。(伊東)

  • 伊東先生の歴史とも言うべき心理学観の一端を垣間見ることができ、大変勉強になりました。今後の自分の研究遂行に取り入れなければならないと思えるご見解が多くあり、とても刺激的でした。本当にありがとうございました。(島根)

  • 伊東先生がどのようなお考えを持たれご研究されてきたのかがとてもよくわかりました。大変勉強になりました。これからもいろいろ学ばせていただければと思います。インタビュー後のランチもふくめ、とても楽しい時間を過ごすことができました。本当にありがとうございました!(外塚)


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