インタビュー

インタビュー2021.06.04

【第7回】後藤 昭 氏(一橋大学・青山学院大学名誉教授)

後藤 昭(一橋大学・青山学院大学名誉教授)(写真中央)
 1973年、一橋大学法学部卒業。76年、弁護士登録。83年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(法学博士)。一橋大学法学部教授、青山学院大学大学院法務研究科教授などを歴任した。専門は刑事訴訟法学で、刑事上訴制度や刑事弁護、捜査法等を研究。法と心理学会初代副理事長、同学会理事長を務めた。
 大谷 彬矩(日本学術振興会特別研究員PD(龍谷大学))(写真右)
 2017年、九州大学大学院法学府博士課程修了。博士(法学)。専門領域は刑事法学、刑事政策学。主に、犯罪者処遇論、刑罰・保安処分論を研究対象としている。
 湯山 祥(早稲田大学大学院文学研究科心理学コース博士後期課程)(写真左)
 2021年より早稲田大学大学院文学研究科心理学コース博士後期課程に在籍。修復的司法、主に犯罪被害者・加害者間の対話を研究対象としている。



―― 早速ですが、法と心理学会に関わるようになったきっかけについて教えてください。


後藤 20年も前のことなので、だいぶ記憶が薄れているところもありますけれど、たぶん村井先生から声をかけられて私も入りますということになったのだと思います。その前後から自民党本部放火事件についての心理学者の人たちの研究については知っていました。

 

―― 創設時から副理事長を務められていますが、それも村井先生から声をかけられたのでしょうか。


後藤 初代理事長が浜田寿美男先生だったので、副理事長は法学系から出すということだったと思います。

 

―― その時は、法と心理学会の展望について、どのように考えていらっしゃいましたか。


後藤 発展性はあるはずだと思っていました。そう簡単につぶれるはずはないと思っていました。

 

―― この20年の学会の活動を振り返って、どのように評価されますか。


後藤 発展してきていると思います。議論される分野も豊富になってきています。ただし、会員数がもっと増えてもいいはずだと思います。潜在的に持っている可能性がまだ十分に発揮されていないと見るべきなのじゃないでしょうか。

 日本の法律学は伝統的に観念的な傾向がありますが、もっと心理学的な観点に関心を持ってほしいと思います。心理学の研究者の中にも、学会には入っていないけれども、この分野の研究をする可能性がある人がいるだろうと想像します。

 

―― 法と心理学会のお誘いがある前に、先生の中で心理学に興味がおありだったのですか。


後藤 ありました。その当時、司法試験の受験科目の中に心理学がありました。私は心理学を選択して答案も書きました。ただ、どんな問題が出たか全然覚えてないです。たしか当時、司法修習生になると植松正先生の講演があったと思います。目撃証言の評価のような話を聞いたんじゃないかな。耳学問的な関心を持っていたというべきかと思います。

 

―― 先生の過去についてお聞きしていきたいと思います。まず、先生がご専門にされている刑事訴訟法に興味を持たれたきっかけについて教えてください。


後藤 大学の法学部に入ったときには、弁護士になろうと思っていました。今で言うと、渉外企業法務です。それをやろうと思っていたのに、それが刑事訴訟法になったのは、いろいろなきっかけがあったと思いますけれど、まずは、先生との出会いですかね。当時、一橋大学には鴨良弼(かも・よしすけ)という先生がいて、刑事訴訟法が専門ですけど、1年生の時からその先生の刑法の講義を受講しました。この先生の下でもっと勉強したいという気になって刑事訴訟法のゼミに入ったということですね。あとは、当時の時代背景ですかね。私が法学部に入った頃に、司法の危機があって、宮本康昭さんが再任を拒否されるという事件があり、日本の司法のあり方に非常に疑問を持ったことも、背景にはあったと思います。

 

―― 宮本判事補の再任拒否事件から間を置かずに、先生ご自身も、裁判官への任官を拒否されていますが、それはどのような理由によるのでしょうか。


後藤 最高裁は何も理由を説明しないので、謎といえば謎です。私は青年法律家協会という団体に入っていたし、修習生になる前からそういう人たちと一緒に活動して、最高裁に署名簿を届けに行ったり、活動をしていたので、そういうことが嫌われたのかなという気はします。

 

―― そのような活動をされていたのは、鴨先生の影響もあったりはしたのですか。


後藤 直接に何か言われたわけじゃないけれど、宮本さんと同期で、再任を拒否されるのではないかと心配されていたのが守屋克彦さんです。結局、守屋さんは再任されて、その後、長く定年まで裁判官をされ、この学会でも活動されたわけですけど、守屋さんは、鴨先生が東北大学で教えた当時のゼミ生だったのです。私たちは守屋さんがいかに優秀だったかとか、裁判所で冷遇されていて心配だとか、という話を鴨先生からしばしば聞いていたことは確かです。それで身近な問題として感じた面はあると思います。

 

―― 渉外弁護士と裁判官とではけっこう仕事内容が違うと思うのですが、先生は裁判官としてこういうことをやりたいという思いがおありだったのでしょうか。


後藤 一言で言うと、憲法を裁判に活かすということですかね。具体的に言うと、日本の刑事手続って必ずしも憲法の精神が活かされていない部分があると思います。それをもっと活かしていきたいっていうような気持ちです。

 

―― 鴨先生との出会いの中で、印象に残るエピソードなどおありでしょうか。


後藤 いろいろありますけど、鴨先生のところに行った一番のきっかけは、先生に褒められたからだと思います。一年生の刑法の授業の時ですが、窃盗罪の説明の中で、客体の占有という要件があります。つまり、窃盗というのは他人の物を盗むわけだけど、その盗むという行為の特徴は、他人が管理しているものを奪うということです。管理されていない物は窃盗の客体にはならない。その話の中で鴨先生は、森林窃盗はもともと窃盗ではないのだ、とおっしゃったんです。私はその意味を測りかねて、授業の後で、森林でもフェンスをめぐらして、「ここに立ち入るべからず」と書いていたらどうなんですか、と聞いたらすごく褒められたのです。「君は本当に一年生なのか」と。それで嬉しくなって、その先生のゼミに入ったというのが本当かもしれないです。

 あと印象に残っているのは、鴨先生は非常に悩みを語っていたということです。被疑者・被告人の人権を守らなければいけないんだけど、自分が裁判官として経験した、ひどく残虐な事件で、どうしても被告人を許せないという感情があって、自分はそのために平野先生の弾劾的捜査観に乗れないかもしれない、と語っていたのです。それってすごく率直な語りですね。学生にそういうことを言うのは。だから、専門家もそういう悩みを抱えているのだと知って、共感したということです。ゼミや授業が終わった後に、何人かの学生と先生でよく喫茶店で話していたんですけど、そういうときでもよく私の言うことを聞いてくれました。先生と議論をするのは法律の学習において重要だと思います。

 

―― 先生は、学部生の頃は鴨先生の下で学ばれ、その後、東京大学大学院に進学されて、松尾浩也先生や平野龍一先生の指導を受けられています。指導教員の先生方との関係はどのようなものでしたか。


後藤 鴨先生がもうすぐ定年になるというタイミングで、松尾先生のところで研究するのがいいと私は思ったし、鴨先生もそういう意見でしたので、松尾先生につくために東大に行きました。

 司法修習を終えて弁護士登録もしたところで修士課程に入ったので、松尾先生は、ある種、大人扱いしてくれたというところがありました。何事につけて、私が何をしたいのかを尊重してくれたと思います。ただし、松尾先生の指導は細かいです。平野先生とはある意味対照的です。原稿も全部見てくれて、非常に丁寧に指摘してくれます。そこで鍛えられたことが後々、活きたと感じます。ゼミの発表でも、趣旨が不明確なところは必ずつっこまれました。それはどういう意味だって。自分が何を言おうとしているのかを明晰に示さないとだめだと仕込まれた気がします。それと、松尾先生は当時、今の刑事訴訟法の立法過程についての研究をされていました。ゼミでもそういうことをやっていて、日本の刑事訴訟法の立法史に目を向ける目線を、そこで私は教えられました。それは今に至るまでずっと活きています。

 平野先生は、細かいことは言われなくて、発表をしても「いい」か「だめ」かしか言わない、ある意味怖い先生ではありました。一番の思い出は、若手研究者のデビュー的な意味がある刑法学会での私の個別報告のときのことです。平野先生が質問をしようと手を挙げたのだけれど、司会者が気づかなくて終わってしまって、後で、何を訊こうとされたのかメモをいただきました。多くの先生は、そういう場で自分のところの院生に反論的なことは言わないです。だけど、平野先生はそれをしようとしたのです。私はそれを予想していなかった。けれど、私が批判しようとしていた理論をもっとも洗練された形で述べていたのが平野先生だったので、反論してくるのは当然です。私がそれを予期していなかったのは、先生に対して甘えがあったと実感しました。

 研究者は自分の先生を乗り越えなければならない。それは必ずしも先生を否定するというわけではないけれど、先生が気づいていないことを人々に気づかせないといけない。学問の世界ではね。自分と同じことしか言わない弟子は評価しないけど、逆らうなら覚悟しておけという、学問を発展させるためには非常に優れた指導だったと思います。

 

―― 「先生を乗り越える」にはどのようなことが必要とお考えですか。


後藤 特別な覚悟をする必要はない。自分の問題意識に素直であればいいのじゃないか。そうすれば、自ずと先生に従うだけでは満足できなくなると思います。

 特に法学の場合は、自分が独自のことを言おうとすると、今までの考えを否定しないとそれが成り立たないことが多いです。なので、自ずと先生が言っているのと違うことを言うことにならざるを得ない。逆に言うと、先生と違うことを言えないと評価されない。研究者として独自の存在意義が何なのか分からなくなってしまいます。先生が言っていることにどういうスタンスをとるかは、法学の研究者にとっては永遠の課題みたいなものじゃないかな。そういう悩みを避けたければ、先生があまり研究していない分野をやればいいですね。それは重要なことかもしれない。すでに議論されている問題について新しい説を出すよりも、今までそもそも問題として意識されていないところに光を当てる方が研究としては、より大きな意味がある気がします。

 

―― 松尾先生や平野先生は、法制審議会など立法を検討する場にも多く参加されていましたが、立法の現場に向き合う姿勢から先生も影響を受けていらっしゃるのでしょうか。


後藤 特に平野先生は、当時、法制審議会の監獄法改正部会の部会長でした。部会での問題点を大学院でのゼミに持ってきて議論をさせていました。平野先生の立法への携わり方は、研究者として誠実だったというか、信念を持っていて、法務官僚が何を期待しているかではなく、制度がどうあるべきかを真剣に考えて答申を出そうとした、そういう姿勢ははっきりしていたと思います。だから、現在の法制審で見られる状況よりも、官僚との間でもっと緊張感があった気がします。それは、私にも影響したかもしれないです。去年参加した法務・検察行政刷新会議の場で何を言うべきかを考えるときにも、平野先生の姿勢が私に影響したかもしれないです。

 

―― 指導教員の御三方は、学生と接するスタンスがそれぞれ違うということをお話を聞いていて思ったんですが、先生ご自身が教育者として長く活動されていく中で、先生方から受けた影響を教育者としてどのように活かしていらっしゃいますか。


後藤 私も学生には、明晰に語り、明晰に書くことを身につけさせたいと思っています。法科大学院だと、起案して添削する指導を私はけっこう丁寧にやっていると思います。そこは松尾先生から受け継いだ指導方法かもしれないです。

 

―― 先生はこれまで、刑事上訴制度や刑事弁護、捜査法等、幅広く研究されてきましたが、研究テーマを決めるときの判断基準やポイントについてお聞かせください。


後藤 あまりそういうこと考えたことないですね。これは面白そうだなという問題が自然と出てくるので、それを追いかけている感じです。なので、テーマ設定の方法論についてあまり意識したことがないです。

 ただ、博士論文を書いたころは、かなり悩みました。というのは、自分はこれが面白いと思うのだけど、果たして他の人たちにとってどうなのか分からなかったからです。博士論文のように若いころ一生懸命書く論文については、それは悩みますね。

 それ以後は、あんまりそういうことで悩んだことはないです。テーマ選択を失敗したと後悔したことはないです。最後は自分を信じるしかないですね。自分が面白いと思うことは、他の人たちにとっても面白いはずだって。

 それでも、自分が重要だと思うことについて、他の研究者たちや実務家たちが必ずしも問題意識を共有しないことは当然あり得ます。主観的には自分の仕事には意味があったと思っていますが、客観的な評価は人に委ねるしかないですね。

 注目されていなくても、いつかは注目されるのではないかとひそかに期待していることはあります。実際、後になってから注目されるという経験は今までにも何度かありました。

 できれば、あれは先見性があったと評価されるような仕事をしたいですね。まぁ、結果どうなるか分からないですけど。

 

―― 自然に面白そうだなと思うものを研究の対象にしてきたということと、価値の高い研究というのは今までに議論されていないものに光を当てることだとおっしゃっていました。先生の中で、面白そうだなと思う基準はどういったものなのでしょうか。


後藤 すべての学問の根底にあるのは好奇心ですね。これはなぜなのか、なぜこういうことが起きるのか、今まで見えなかったそのメカニズムを見えるようにしたい。およそ、あらゆる研究はそういうものだと思います。だから、好奇心を持っていれば、自ずと課題が見えてくるのではないかな。それと同時に、先人が何をしてきたのかを学ぶことも大事です。先人がどういうところに問題を発見してきたかが、ヒントです。にもかかわらず、先人がまだ気づいていない問題は何かを考える。

 

―― 自分の研究が他人にとって面白いかどうかというお話がありましたが、自分の研究が本当に社会の役に立つかどうか、という社会との関係で考えた場合にはどうお考えですか。


後藤 いつかは役に立つはずだと期待しています。今すぐに判例や立法が変わるということではなくても、いつかはそれが社会を変える効果を持つだろうと期待しています。ただし、それの効果は、なかなか見えないです。すごく時間がかかることだと思います。

 そういう意味では、私たち法学研究者がどんなに立派な論文を書いたとしても、それで世の中が変わることを示すのは難しいです。だから、もしも世の中の役にすぐに立ちたいと思ったら、教育に力を入れた方が効果ははっきり見えると思います。人を育てるということです。それはすぐに社会に還元されるので、その方が直接的には大きな影響があるのかもしれない。

 教育から離れて考えた場合、研究というのは、純粋に面白い、とりあえずそれでよいのではないかと思います。将来、どう役に立つのか分からなくても。学問には純粋に面白いからクイズを解くというような部分も大事だと思います。知的なゲームみたいな側面も学問の本質的な部分なのだと思います。研究者はそれを卑下する必要はなくて、役に立たなくてもいいんです、面白いからやっているんです、でもいいと思います。

 

 

―― 後藤先生は、最終講義で、学問としての刑事訴訟法学が現実と正面から向き合っているか、疑問を呈しておられました。研究者が現実に対する想像力を持ち続けるには、どのようなことが必要とお考えですか。


後藤 研究者が現実への意識を保つには、具体的な事件を見る、あるいは経験することだと思います。例えば、法と心理学の研究は日本である意味独自な発展をとげてきたと思います。それは最初から具体的な事件に関わったということです。浜田さん、高木さん、伊東さん、仲さんたちの仕事も、具体的な事件で何が言えるかという問題を突き付けられて、そこから研究が始まっているわけです。法学の世界でも、裁判の現場で実際に何が起きているのか、何が問題になっているのかを見ていることが大事だと思います。それによって、問題意識がズレない。

 もう一つ、法学研究にとって重要なのは、フィクションに対する姿勢ではないかと思います。法律学はある意味宿命的にフィクションの上に成り立っている気がします。今回、学会誌『法と心理』20周年記念号を読み直してみました。その中に、「法律人」という概念がでてきます。法律が想定した合理的な人間と、実際の人間とは違うというのは当然で、ある意味法律というのはそういう風に組み立てざるを得ないところがあるのだと思います。民法の成人年齢にしても、20歳あるいは18歳になった誕生日に急に判断力が備わりはしないわけですね。刑事裁判でも同様なことは沢山あって、突き詰めていくと例えば、被疑者に黙秘権を認めることと、自白を証拠として認めることは本当は矛盾しているのではないかと思います。そこにはある種のフィクションが存在すると思います。フィクションが不合理な制度を正当化しているのではないかという問題意識を保ち続けることが法学の研究にとっては大事ではないかな。

 

―― 大学院での研究は、外国語を読むことに力を入れる傾向がありますが、現実と向き合うという文脈の中ではどうでしょうか。


後藤 日本の法律学は伝統的に外国から吸収しようという傾向が強かったですね。今でもその傾向はあるとは思います。自分たちがやっていることを相対化して見るために外国について研究するのはとても意味があるけれど、例えば今の日本の刑事手続をどうすべきかというような実践的な問題意識を持つべき分野だと、外国のことを調べるだけではあまり意味がない。今は、ある意味外国法の知識に頼らなくても論文が書ける時代になってきている気がします。それで逆にグローバルな視点を失ってしまう危険もあるかもしれないですね。

 法科大学院が最たるものですけど、学部でも、教育のために時間をさくようになってきているので、外国の文献をじっくり読むゆとりがなくなってきているのは確かですね。それは警戒すべきことかもしれないけど、それでもやるべき、また、できる研究はあると思います。


―― 法学の先生から見て、心理を勉強している人に足りない視点や、こういう法学的視点を入れて心理を学んで欲しいということはございますか。


後藤 法学と心理学の両方の方法を身に付けるのは、多くの人にとってはなかなか難しい課題です。だから、心理学者は法律についてそれほど詳しく知っている必要はないと思います。ただし、私の分野で言えば、手続の過程で行われることの意味付けは理解しておいて欲しいです。例えば、主張と証拠の区別とか、法律家が使う「証拠能力」と「証明力」という概念をもし使うのであれば、正確に理解した上で使うことです。これは、議論が混乱しないために大事と思います。


―― 法学と心理学の親和性、法学と心理学が馴染む部分と馴染まない部分についてのお考えをお聞かせください。


後藤 扱う対象が、人間とか人間の行動であるところでは親和性があるので、問題意識が共有されやすいと思います。ただ、そもそも法律って科学的な合理性で出来ているのかという問題があります。勿論科学的な合理性で出来ている部分はあるけれど、文化の側面もあると思います。文化的な側面では必ずしも心理学の観点だけでは割り切れないものがあるかもしれません。つまり、心理学的に見ればこれが良い方法のはずだけど、それが法律家にとっては受け入れがたいという場面はあると思うのです。典型的には供述をとるための手段に現れているように思います。司法面接をどう扱うかでも考え方の違いが出てくる可能性はある。だから、心理学者が心理学の観点から色んな提案をするのは大事だけれど、法律のルールは必ずしも心理学的な合理性だけで決められるものではないことを意識してもらう方が良いかもしれないです。

 これはすごく難しい問題です。例えば、伝聞法則も、それが本当に科学的な意味での真実の発見に役立つルールなのかどうか、実は実証されたことはないと思います。それでもそれは先人の知恵の蓄積として法制度に取り入れられたものなので、簡単には廃棄できない。これから法と心理学が発展していくことによって、時間をかけた対話が起きてくるのではないかと思います。それによって、法制度の中で大事にされているものは実は何なのかが見えてくるかもしれない。つまり、心理学の観点からは合理的でないと思われる制度が維持されているとすれば、それは不合理なものとして廃棄すべきものなのか、いやそうでなくてそれなりの理由があって、やはり意味があるものなのかというような議論がこれからだんだん可能になっていくのじゃないかと、期待しています。


―― 新型コロナウィルス感染症の拡大により、世の中は大きく変わりました。今の状況について先生はどのようにお考えですか。


後藤 プラス・マイナスがあると思います。教育で対面のやり取りができないのは非常にもどかしい。対面での授業は、単なる知識の伝達じゃなくて、色んな効果をもっていると思います。学生たちの仲間意識を作っていく、そこで集団への帰属意識ができるという側面も持っていると思います。他方で、オンラインでは、世界のどこにいても同時的なコミュニケーションができるのはすごいことですね。それによって我々の活動の幅が広がった。例えば、外国の先生に来ていただかなくても居ながらにして講演ができちゃう。これは、すごい進歩ですね。なので、これから感染症の状況が改善していけば、対面での良さも復活できるだろうし、それと併せてオンラインの色んな手段を活用していったら良いのだと思います。

 私がやっている東京外語大と青山学院の提携で提供している司法通訳の養成講座は、2020年度は結局休講になり、2021年度はオンラインでやります。オンラインだと、例えば模擬法廷を使うことは出来ないので、それは残念ですが、地方からの参加者が増えていて、希望があれば海外からも受講できるという点ではメリットがあります。それと同時に、心理学の観点からは、オンラインでのコミュニケーションの持つ性質はすごく面白いテーマだと思います。面と向かって話すのとオンラインで話すのではどう変わって来るのか、それは何故なのかを考えるのは、人間のコミュニケーションを理解する上で示唆を含んでいるテーマだという気がします。そういう新たな研究の課題と材料が提供されていると思います。法律の世界でもこれからオンラインで証人尋問がされるようになってくるでしょう。そういうコミュニケーションが持つ特性は非常に興味のあるテーマです。


―― 現在、先生が法と心理学の分野で関心を持っていらっしゃることは何でしょうか。


後藤 法と心理学で、いま一番関心があるのは、やはり面接です。面接って広い意味でいうと、人が誰かに働きかけて、そこから何らかの発話、多くの場合、情報を得ようとする行為と定義できると思います。そうすると、刑事手続は、ある意味、全てが面接です。そこで、面接をどういう風にしたら合理的なのかが勿論テーマになります。その時、私が関心があるのは、働きかける側がもっている仮説の効果、つまり仮説がどう影響するかということです。典型的には自白を強要する取り調べを考えると分かるけれど、そこでは捜査官による『こいつは犯人だ』っていう仮説があるわけです。明らかにそれにとらわれて、供述を引き出そうとするメカニズムが働いているわけです。けれど、そんなに意識的でなくても、面接者が仮説を持っていることは必ず対象者の反応に影響する気がするのです。

 心理学の分野で利口なハンスの馬の逸話があります。あれが教えていることは、馬であってもそれだけ相手の表情を見て、読み取るということですね。ましてや人間同士であれば、それがすごく強く働いているだろうと思います。だからこそ例えば仲先生が研究しておられる司法面接は、そういう仮説の影響をなるべく極小化しようという試みだと思います。ただ、突き詰めると、全く仮説なしに面接することが出来るのかというのが実は問題な気がします。そこまでいくと哲学的な話になってしまうけれど、およそ仮説のない面接はあり得ないかもしれない。つまり、面接をするのは必ずそこに動機や、目的がある。ということは、すでにそこにある種の仮説が内在しているかもしれない。そうなると、一体どうしたらよいのか。面接は必ず仮説が影響するからダメだとなると何もできなくなってしまうので、現実的にはその問題を意識しながら仮説が持っている影響を極小化する努力をするしかないのだろうと思います。けれども、現在のところまだ、仮説が持つ影響力というものが十分に意識されていないような気もするのです。そこはもっとシビアに考えていく必要があるのではないでしょうか。


―― 今後のことについて、先生はどのような活動をしていきたいとお考えでしょうか。


後藤 まぁ、いつまで元気でいられるか予測が難しいですけど、元気なうちは発信を続けたいと思っています。自分が関心を持っているテーマはまだ尽きていないので、それについて少しずつでも研究して発信したいと思っています。


―― 最後になりましたが、若手の研究者、学生や大学院生に対して一言お願いいたします。


後藤 今、若年人口がどんどん減ってきてしまっているので、大学の教員として生活していくチャンスもだんだん削られつつある気がします。ですので、若い研究者にとっては厳しい時代になっていくのかなって、客観的にはそういう予測をしなければいけないのでしょう。

 でも、大学院生になったということは、自分に何か解明したいことがあるはずです。その分野に関心を持って、専門的に研究したいと思うということは、すでに自分の好奇心が生じています。自分がここを解明したい、見えるようにしたい、皆に教えてあげたいみたいなね、そういう気持ちがすでにあるのだと思います。それを大事にすることじゃないかと思います。なかなか厳しい状況ではあるのだけれど、自分が興味をもっていること、自分の関心が自覚的なものであれば、それをしっかり追究してくことによって道が拓ける可能性が高いのではないかと思います。


―― 今日は、貴重なお話をありがとうございました。

 



インタビュー後記:

  • 指導教員の先生方とのご関係や、研究との向き合い方など、研究者としての先生を形作っているものを垣間見ることができました。先人が積み上げてきたものを踏まえつつ、研究者として独自性を発揮することは難しい課題ですが、先生のお話を思い起こしながら、今後の研究に活かしていきたいと思います。(大谷)

  • 先生の、学問そして研究のお話をお聞きしながら、とてもワクワクした気持ちになりました。先生の中の探求心、好奇心が伝染したからだと思います。先生のお言葉を思い出し、立ち止まっては前に進んでいきます。この度は貴重で、また非常に楽しいお時間をいただきましてありがとうございました。(湯山)

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